優しく、たくましく。被災地の病院で学んだこと。(気仙沼市立本吉病院)
気仙沼市立本吉病院は約40床の小さな病院です。そんな小さな病院の中にはとても優しくて、たくましくて、親切で、信頼できるスタッフがたくさんいます。一緒にいるのが心地よく、楽しい日々を過ごすことができました。
また、震災が起きて8年経った今、被災者の生の声を聞いたり、被災地の現場にいったりすることができ、震災後の現状を知ることができました。そして、本吉町で過ごした日々は私にとって大変有意義な1年間となりました。
2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。
当時私は、自宅でくつろぎながらテレビを見ていました。
何度も繰り返される津波の映像。被害が全く及ばない安全な場所にいた私はその映像を見ていても何も実感がわきませんでした。『すごく大変なことになってるんだな』と思うだけでどこか他人事でした。ボランティアで被災地に多くの方々が足を運んでいましたが、私はそれができませんでした。
『また地震が起きたり、津波が来たりしたらどうしよう。』という気持ちが強く、助けを必要とする被災者よりも自分の身の安全のこと心配していました。当時の私にできたことは、募金をすることだけでした。
私がRIKAjobを利用しようと思った理由は、国際看護長期研修を通して見つけた自分の課題を解決するため、研修で得たその志をモチベーションに①一生懸命に頑張ること②自分としっかりと向き合うこと③それらを必ずやり遂げること、という心念を持っていたからです。
RIKAjobにはいくつかの活動地がありますが、特に希望を出さずに決まった地が気仙沼市立本吉病院でした。
配属病院を聞いた時、私は東日本大震災発生時の自分の気持ちを思い起こされました。正直不安な気持ちになりました。
しかし、なにがなんでもやると決意していたので、不安な気持ちを払拭して課題を解決した時の自分の成長を期待するようにしました。
出勤初日に病院のオリエンテーションで本吉病院が被災した時の写真を見せてもらいました。1階部分はすべて浸水し、高価な医療器材はもちろん、カルテや家具、様々な物品が泥だらけになり、散乱していました。病院の中にはあるはずのない、廃材や魚までもが病院内に押し寄せていました。今はきれいになっていますが、8年前はこうだったのかと思うと驚きました。
多くのボランティアが入って病院を綺麗にしたそうです。壁にこびりついたヘドロはなかなかとれず、次亜塩素酸ナトリウムと水圧洗浄を使用し、ごしごしこすってやっとれたそうです。
本吉病院にいるスタッフのほとんどが震災当時から働いている方たちです。
どれだけ大変でどれだけ怖かったでしょうか。
「あのころはさ、本当に寒かったよね。電気もなくてさ。でもさ、すっごく星がきれいだったよね。」
「海の上が石油で燃えているのが遠くに見えたよね。」
「携帯がつながらなくてさ、しばらくして親と連絡取れるようになったんだよね。」
「久しぶりに会った時、普通だったら絶対しないけど、親と抱き合ってすごく泣いたな。」
と普段と変わりなく話をすることもあれば、3月11日になると「あー、またこの日が来たんだなあ。何年たってもあの時のことを思い出すな。」と悲しい表情で話をしたり、患者さんの中には「僕が飼っていた牛が津波で流されてるのを見た。助けたかったけど何もできなかった。」「私は自分で動けないからベッドの上にいたの。お家が高いところにあったから大丈夫だったけど、津波が来るのが見えたから怖かった。」「もうね、海が怖くて。震災前はよく海釣りしてたんだけどね。あれからまったくしてないよ。もうしようと思わないんだもんね。」と震災当時の受け取り方は人それぞれ違い、実体験を話すことができる人もいれば、話をしたくない人、できない人もいて、一つ言えるのは何年たっても脳裏には当時の記憶が鮮明に残っているようでした。
私が本吉病院にきてとても強く感じたことは、本吉地域は本吉病院を拠点として、地域にある施設やデイサービス、訪問診療などに関わる全てのスタッフ全員で多くの地域住民がよりよい生活を送れるようにしていこうという気持ちがあることに驚きました。このように団結力があるのは、震災が起きて何もない状態から、復興してきている現状に至るまでには様々な困難を乗り来られたからこそ、人との繋がりをもつこと、お互いに協力し合うことの大切さを身をもって感じたからではないでしょうか。
たくさんの人々と出会い、たくさんことを初めて経験し、見分が広がりました。
人と関わる仕事はとても大変なことが多いけれど、人と関わることで得られる幸福感は偉大です。美味しいご飯をお腹いっぱい食べるときも幸せですが、それよりも「ありがとう」とその一言を言われただけで幸せに満たされます。
人との関わり方に迷ったり、わからなかったり不安に感じたりすることも多々あります。そんな時はつらいときに支えてくれた人たちに今の自分気持ちをぶつけて相談します。たとえその日に悩みが解決しなくても、最後に笑って話が終われば、元気になって、また頑張ろうという気持ちになります。そんな心の支えになってくれる大切な人たちが私の周りにはたくさんいることも幸せです。
最後に1年間のRIKAjobを通して“自分の課題を解決する”という目標は、正直100%達成はできませんでした。
この課題は引き続き私の課題として取り組みたいと思います。そして、将来の自分のためにこれからも自己研鑽をしていきます。
堤 奈緒子