7ヶ月の徳之島オペ看体験記

前職を退職して、東京から徳之島へ。
鹿児島県の離島、徳之島徳洲会病院手術室での6ヶ月の任期+1ヶ月の延長で離島医療をしてきました。
徳洲会創設者である故・徳田虎雄さんの出身地で、闘牛が盛んなことを派遣直前にGoogle検索で知るくらい知識のないまま徳之島に着いた1月末から長いようであっという間の7ヶ月でした。
私自身のバックグラウンドとしては大学卒業後に東京都内の三次救急病院で約2年半手術室で勤務をし、3年目の2月で徳之島徳洲会病院の手術室勤務を開始しました。
RIKAjobでは基本的には病棟勤務の方が多いですが、専門性とニーズに合ったこともありOPE室ナースとして離島経験を積むことができました。
小学生の頃から国際協力に看護師として携わりたいと考えていたため離島での経験が今後のキャリアに繋がると考えたこと、人生で一度は海が見える家に住んでみたいと思っていたこともあったため応募をしました。
「離島の病院ってDrコトーみたいな感じ?」と何人かに聞かれたので、行きの道中で電子版を購入して一通り読んでみました。
島唯一で医師看護師も最小人数・・・という感じでは全くないですが、天候や地理的な条件の難しさなどなどエッセンスとしては通ずるものはあるなと思います。
入職時の契約書類を記載する流れで生血採取の同意書が出てきたときには改めて「離島に来たんだな〜」としみじみ思っていました。
(年1回あるかないかの頻度だそうです。私のいる時には生血輸血はありませんでした。)
手術室の配属ではありましたが、手術室看護師としての直接介助・間接介助だけでなく、心臓カテーテル室の兼務や内視鏡室への応援、中央材料室での器械の洗浄・滅菌、病棟への衛生材料払い出し、手術室環境整備など手術室スタッフとしても業務が多岐に渡り・内視鏡室・外来への応援も経験させていただきました。
手術室での経験しかなく、看護師としてもまだまだ経験の浅い私に優しく接してくださって、たくさん任せてくださった徳之島徳洲会のスタッフの方々・全国からやってくる応援の先生方の温かさに支えられ続けていました。
術前訪問や術中褥瘡予防などなど、前職の経験を活かしつつ勉強しながら、離島医療の難しさも感じつつ、任せてもらえる環境の有り難さを噛み締めています。
応援で来ている方々に早速色々と人生相談に乗って頂いて、綺麗な海を見ながら今後の身の振り方をのんびり考えています。
トルコ・シリアの地震への緊急援助に行かれた総合診療科の先生や、離島研修に来ている同世代の研修医の先生や薬剤師さんなど「はじめまして」の人もいれば、まさかの前職常勤だった麻酔科医の先生が来たり。
世間が狭いのか広いのか、とにかく色々と驚いていた私に島人の先輩から「ここは人生の交差点だから」と言われて色々なことが腑に落ちました。(笑)
手術室での勤務はカルチャーショックの連続で、勤務も多忙でした。
物品や機材・薬品も揃っているのに驚きましたが、台風で3週間船と飛行機が止まってしまい酸素や薬・診療材料が無くなりそうになったり、応援の先生や島外搬送のヘリコプターも到着できないなど離島ならではの難しさに直面することも多々ありました。
自分1人で細々とやっていて、誰も見ていないと思っていた仕事を帰り際の挨拶回りで、たくさんの人が見ていてくれたことを始めて知って本当に救われた気持ちになりました。
北は北海道・南は沖縄からやってくる同世代の医療従事者と出会って一緒に離島医療の現実に翻弄されて、仲良くなれるとは行く前には想像もしていませんでした。
オンコールや夜間勤務もありますが、オフの時には綺麗な夕日や徳之島の自然、美味しいご飯やアマミノクロウサギ観察などなど楽しい思い出がたくさんあります。
中でも、島を離れる2週間前に犬田布岬で見たペルセウス流星群と天の川は一生忘れないと思います。
オフの時間も一緒に過ごして、帰っていくみんなを送り出していくのを3回繰り返していたら自分も送り出される側になりました。
島で出会った同世代の医療職の友人たちや温かい徳之島の人達のお陰で手術室看護への気持ち…というより臨床にいることへの辛さがかなり減りました。徳之島の人たちの温かさが大好きです!
離島医療を経験したからこそ、学生の頃に考えていたキャリアへ挑戦していきたい気持ちが強くなり、現在は長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科国際健康開発コース博士前期課程で「世界中どこでも安全な手術を受けられる環境の実現」を目指して公衆衛生を学んでいます。
島で関わった全ての人におぼらだれん(島口でありがとう)です。