【山北徳洲会病院より】僻地の訪問看護体験 ~新庄徳洲会病院から山北徳洲会病院へ一日訪問しました~
「どうして私は死なないのだろう?」
98歳の女性は
その日の朝から、娘さんに尋ねたそうです。
「こんなに良い顔をしていて、朝起きてから膝が痛いのはただの老化だもの。
死なないわよ。」
娘さんはそう答えたそうです。
今回、私がお世話になったのは、
病院の訪問看護をたった一人で担当している看護師Sさんです。
自身が高齢になっても、住み慣れた地で、積み重ねた知識をもとに、僻地の在宅医療を支えていました。
冒頭の会話は、高齢の母を介護する娘さんからの第一声です。
Sさんは、包み込むような優しさで娘さんの話を傾聴し、ねぎらいました。
そして、「娘さんにみてもらって幸せね。」と、
ソファーに座る高齢女性の足をさすりながら話し、馴染みの話を交えながら観察しているようでした。
訪問中は、皆が朗らかな笑顔で、Sさんの存在が安心感をもたらしていることは一目瞭然でした。
高齢女性には不整脈があり、慎重に聴診が行われました。
私にも「音聴いてみる?」と、交代してくれました。
ソファーに深く座る高齢女性の前に行き、声かけをしながら、顔が30cmも満たない距離に近づきました。
すると、きらきらっとした目で私に微笑みかけてくれました。
綺麗な目がとても印象的で、本当に幸せそうだなぁと感じました。
Sさんが初めに私に話してくれたことを思い出します。
「伝えたいことは、在宅では全然表情が違うの。」と。
Sさんは帰りに特別な場所を見せてくれました。
田舎で昔ながらの家屋が並ぶ一角に、手入れされた庭園があります。
樹齢400年以上の松の木。
軽やかに花びらを広げた山椒バラ。
ほら、実がなってるよ!と見上げた梅の木。
同行した私まで、満たされた幸せな時間をいただきました。
この日、私はSさんに学びたいことが沢山ありました。
Sさんは時間の許す限り、話をしてくれました。
70代のSさんは言います。
「技術的には遅れてしまって色々は出来ない。ですけど、看る力は養われたの。」と。
血圧や聴診の仕方は丁寧です。みて、触れて、感性をもって看護をしていました。
私達の世代が持っていないもの。
高度な医療が無い時代からの、引き継がれた経験知が感じ取れました。
今は廃業してしまいましたが、この地域の総合的病院的な機能を果たしていた病院が、近隣にあったと伺いました。
Sさんは、そちらに40年勤めたそうです。
帰り道、長年看護をしていて、辞めたいと思ったことはないですか?と聞いてみました。
「無いの。夢中でやって来たから。」
即答でした。
看護師の仕事は大きく分けて、診療の補助と療養上の世話があります。
私は、この「療養の世話」の部分の大切さを学びました。
心を救う看護の力。
豊かな経験知がそこにはありました。
私はRIKAjobを通して、自分を信じて進む勇気をいただきました。
子育てが落ち着き、両親を看取り終えて、僻地医療に飛び込みました。
今は、新庄徳洲会病院に勤務し、僻地医療の問題を考えながら、その中でしっかり看護と向き合う人たちの姿をみています。
上司や同僚、患者さんによって学び、心が救われることも多々あり、ここへきて良かったと感謝しています。
それぞれの思いに触れ、もう少し、私にできることをやってみたいと思っています。
看護師経験年数18年目 T看護師