奄美での10か月~与論編~(愛知県出身 看護師7年目)

2021.04.07
離島 看護師 与論 ジャパンハート

私は、この10か月間、与論島、奄美大島にある2つの病院で勤務をしました。
与論島、奄美大島での経験を、「与論編」「奄美大島編」の2本編成で綴っていきたいと思います。

離島 看護師 与論 ジャパンハート

私は、昨年の4月までジャパンハートというNGO団体に所属しており、1年半ミャンマーで医療活動を行っていました。
世界中での新型コロナウイルスの感染拡大の状況が深刻になってきている状況の中、日本に帰国しました。
自粛中、実家で過ごしながら就職先を悩んでいたところ、リカジョブのスタッフの方に声をかけていただき与論徳洲会病院への赴任を決めました。
これまで奄美大島のことはもちろん、与論島の存在さえも知りませんでした。

離島 看護師 与論 ジャパンハート

離島の病院での勤務は2回目であったためなんとなくイメージはできましたが、日本の病院での勤務に1年半のブランクがあり、少し不安もありました。
実際に与論島に来た時には飛行機が着陸する際に見えた海の美しさに驚きました。
病院の4階病棟の窓からは綺麗な海の景色が広がっており、船が見えることもありました。病院のスタッフからは、時にはくじらが泳ぐ姿も見えると教えてもらいました。

与論徳洲会病院は一般病棟と療養病棟の2つの病棟があり、小さな病院に感じますが、与論島では唯一の大きな病院となります。
病棟のスタッフの皆さんは本当に親切で面白い方ばかりで、仕事は大変でしたが毎日笑いが絶えませんでした。
患者さん達も私の話し方で島外から来た人だということに気づくらしく、どこから来たの?と聞かれて
愛知県ですと答えると、「わい!(与論島の島言葉で、感嘆の意味)そんな遠いところから、ありがとうねえ。」と言ってくれることが嬉しかったです。

私が住んでいた宿舎から徒歩で行ける距離に海岸があったので、夕日が沈む時間になると海の近くまで歩いて行って、波の音を聞きながら、太陽が海の地平線に沈んでいくのを眺めたりもしました。

また街灯がほとんどないので、夏には夜空にたくさんの星が広がって、病棟で一緒に働く仲間と海の近くの堤防に寝転んで、星空を眺めながら夜な夜な語ったりもしました(笑)

離島 看護師 与論 ジャパンハート

離島 看護師 与論 ジャパンハート

丁度、流星群がきている時には、流れ星もたくさん見ることができました。

私はあまりマリンスポーツなどをするタイプではないのですが、海にも入って、浅瀬でもカラフルな魚たちが泳いでいるのを見ることができました。

離島 看護師 与論 ジャパンハート

与論島で働く中で印象に残っていることは、与論島の人は家族をとても大切にしている、ということです。
与論の人は家族の最期の時には、家に連れて帰りたい、と希望します。
大切な家族の魂が迷子にならずに家に帰ってこられるように、最後の時間を家族が見守るということが自然なことなんだな、と感じさせられました。
お年寄りを敬い大切にする姿勢に、島のあたたかい雰囲気があらわれているなと思いました。

また島の看護師さん達はとても責任感が強く、島の人達の命は自分たちが守るという意志をすごく感じました。
島出身の看護師さんに言われた言葉は忘れられません。
「派遣だろうとなんだろうと、医者だろうと看護師だろうと、島の人達を大切にしてほしい。島の人達は、みんな私の家族だと思っているからね。お願いね。」
看護師として、人間として、とても大切なことを教えてもらえたなと思います。

与論島での生活は3か月と短い時間でしたが、たくさんの自然、綺麗な海と患者さんやスタッフの皆さんのあたたかい言葉と笑顔は忘れません。
リカジョブでは奄美群島で働く中で、3か月毎に病院を移動しながらも継続して働くことができる仕組みがあります。
私はこの仕組みを利用しもう少し奄美の中でも大きな病院で働いてみたいと思い、奄美大島にある名瀬徳洲会病院への移動を希望しました。

奄美大島にある名瀬徳洲会病院での体験を、次回は
~奄美大島編~として、紹介していきたいと思います。

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