【喜界徳洲会病院】25年目の看護師生活で叶えた夢(茨城県出身 看護師 25年)
若い頃から離島医療というものに興味があり、一度は働いてみたいと思っていました。
しかし、慌ただしい日常生活の中で夢で終わってしまうんだろうなと漠然と考え、いつのまにかその夢さえ忘れていました。
看護学校を卒業し総合病院で働きながら、結婚、出産、育休後職場復帰。2人目の出産を機に退職し、専業主婦として10年を過ごしました。
その後デイサービス勤務で復職し、内科病棟に数年勤務後、独居の親の見守りをしながら個人病院の病棟勤務をしていました。
子供達も20代後半から30代となり親も看取り、還暦も間近となった時、自分には何かしたいことがあったはずと…
思い出しました。
「そうだ!離島へ行こう!」
ネットで『離島ナース』と調べたら、リカジョブがヒットしました。
離島での看護というと、勝手にDr.コトーのような診療所を思い浮かべていました。
しかし調べてみると、奄美の離島の至る所に徳洲会病院という大きな病院がある事に驚き、逆に私に務まるのかという不安もありました。
でも、人生一度きり。
今しかチャンスはないと、思い切って喜界徳洲会病院へエントリー、勤務する事を決めました。
2021年10月から療養型病棟に勤務して、1番困ったことは電子カルテです。
これまで勤務していた病院は紙カルテだったので、なかなか覚えることができず、本当に大変でした。
しかし、スタッフの皆さんが親切で、嫌な顔ひとつせず教えてくれたので、時間はかかりましたが何とか覚えることができました。
療養型病棟は高齢の方がほとんどで、認知症もあり、徘徊、転倒リスクなど見守りが欠かせない状況です。
話しかけながら側にいる事も多いのですが、そんな時に患者さんの話す言葉がほとんどわかりません。島独特の方言が理解できないのです。
患者さんご本人に聞き返す事もありますし、スタッフに通訳をしてもらう事もあります。
私が茨城から来ていると伝えると、そんな遠くから…と感謝される事もあります。
喜界島での生活面では、用意してくれたアパートは病院のすぐ近くでスーパーも周辺にあるため便利です。
生活に必要なものはほとんど揃えてくれてあるので、到着したその日から、ほぼほぼ不自由なく暮らせます。
休日には病院から支給された愛車の自転車で海を見に行ったり、自炊の食材を買いに行ったり、島へ来て初めてダイビングも経験しました。
休前日には居酒屋に飲みに行き、特産の黒糖焼酎を飲んだりと、1人の生活を楽しんでいます。
また、優しいスタッフが、車に乗せて島のあちこちに連れて行ってくれる事もあります。
島のどこへ行っても、誰もがみんな親切で温かい人ばかりです。
間もなく、こちらへ来て3ヶ月。初めて1人で離島での年越しです。
こちらでの生活も残りわずかですが、楽しみつつ、しっかりと仕事をしていきたいと思います。
看護師なら、イヤ、看護師でなくても離島での生活、一度は経験してみる価値ありだと思います。