離島ホッピングで3か所目に行かれるUさんへインタビュー
2023年4月~10月 長崎県対馬病院
2024年1月~ 8月 奄美大島の名瀬徳洲会病院
2024年9月~現在 山形県新庄徳洲会病院(災害支援スキーム)
RIKAjobでの派遣を希望した理由
一番の理由として、ジャパンハートの活動に興味を持ったからです。
看護師としての自信が無くなり看護師を辞めようと思っていた時に、ジャパンハートの存在を知りました。
創設者の吉岡秀人医師の著書やNHKの「最後の講義」という番組を通して、”患者様に医療を提供しているのではなく、医療を提供させてもらっている”、”医療の届かないところに医療を届ける”という考え方を知り、看護師として学ぶべきことがあると感じました。
ジャパンハートの活動の中でも特に、離島・へき地の医療に携わりたいと思い、RIKAjobの参加を決めました。
派遣前の気持ち
派遣を決めたときは、看護師3年目であり病棟経験は1年半程しかありませんでした。
知識や技術が十分ではないため派遣先に迷惑になるのではないか、地元を離れて生活することが初めてであり新しい環境で生活できるのかと不安でいっぱいでした。ドキドキしながら入島したのを覚えています。
初めての離島である長崎県対馬病院での体験
私が赴任した時、ルート確保もできない状態だったので、配属先にかなりご迷惑をかけたことを覚えています。
業務内容や患者さん、病院のルールに慣れるのに精一杯で毎日が忙しかったです。
しかし、職場の皆さんは優しく、わからないことがあればすぐに相談できる環境が整っていたので、徐々に仕事内容にもいくこ慣れていくことができました。
優しい医師も多かったので、相談がしやすかったり、勉強会を開催してくれたりしました。
産婦人科の先生に頼んでNCPR(新生児蘇生法)講習の資格もとらせて頂きました。
最終勤務時に先輩看護師に、「最初は応援で来たのに全然できなくてポンコツが来たと思った。
でもすごく成長したね。」と言って下さり、とても嬉しいと思ったと同時に看護師としての自信がついたのを覚えています。
休日は、車を走らせてご飯を食べに行ったり、温泉に入ったり、海を眺めに行きました。
特にあなご亭の“特上せいろ”がおいしかったので、また食べに行きたいです。
看護部の皆様には、白嶽登山や対馬マラソンの救護担当という貴重な経験をさせて頂きました。
余談ですが、ペーパードライバーの私でしたが、運転できるまでに成長したのも対馬での生活のおかげです。
2番目に訪れた奄美大島名瀬徳洲会病院での体験
島での退院支援を学びたいと思い、地域包括ケア病棟を希望しました。
入院前後でADLが変化しているため、患者本人・家族・ケアマネ・施設職員・退院支援看護師・理学療法士などが参加する退院支援カンファレンスを開催し、退院後の方向性について話し合いました。
先輩方は入院歴や家庭環境、島内の施設やケアマネなどのさまざまな情報を把握しており、情報の質が高いことに驚きました。
先輩方から教えてもらいながら質の高い退院支援ができるように意識して患者さんに関わるようにしていました。
退院調整の難しさと面白さを学びました。
生活面では、休日は海に泳ぎにいったり、山に野鳥を見に行ったり、花火大会に行きました。
8月にあった、奄美祭りで名瀬徳洲会の一員としてパレードで太鼓を叩いたことはいい思い出です。
離島ホッピングをしようと思った理由
最初は離島ホッピングしようとは考えていませんでした。
任期中に次に学びたいものが出てきたので、結果的に2カ所回ることになりました。
ただ、奄美大島への赴任はきれいな海で泳ぎたいという願望もありました。
今後の看護師としての目標ややりたいこと
今はまだ、こんな看護師になりたいという目標がないので、いろいろな経験を積みたい・やってみたいと思える分野に挑戦しています。
ジャパンハートに出会ってから離島・へき地医療へ挑戦し、災害ボランティア登録をしたり(iER)と常に新しい挑戦ができるようになりました。
今後も、新しい体験や経験を積んで自分の視野を広げていきたいです。
離島・へき地での派遣を迷っている方へ
私も離島・へき地への派遣は迷いや不安がたくさんありました。最初は慣れずでつらい思いもしました。
しかし、同じ志を持つ仲間がいるので、不安なことやつらいことも乗り越えることができました。
寮には生活に必要なものがそろっており、配属先の部署も派遣者を受け入れる体制ができています。
休日には、おいしい郷土料理を食べ、海や山のアクティビティに参加して気分転換もできます。
離島・へき地だから医療が提供できないという訳ではなく、限られた人員・施設の中で最善の医療を提供しようと頑張っている医療者の姿を一人でも多くの方に知ってもらいたいです。